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2017年11月30日
11月の同窓会
私が26、7歳の頃から開かれている小、中学校の同級生との年末の同窓会が今年は11月に開かれました。
今回はくしくも参加したメンバーが皆同じ小学校、中学校の卒業でした。
もう20年程毎年開かれていますが開かれなかった年はありません。私自身1年か2年出席できない年はあったものの、それ以外はすべて出席しています。
そんな同窓会が今年は11月に開催されました。
ところが実は年末にも同窓会があるのです。ですから年2の同窓会ということになり、今後は年2か3で開催されていくような予感がします。

今回の同窓会はつくば市内にある同級生が店主・料理人を務める中華料理店で開かれました。
店主であるご主人は小、中時代は台湾国籍にあり仮称ですがタツ・ズウミンさん言います。愛称はタッ君(仮)と言われていました。
タッ君とは32年ぶりの再開となりました。
彼とは小学、中学時代を過ごしましたが、少しおとなしめであり滑舌も若干滑らかさにかけておりました。私の方が会話の主導権を握ることが多かったもののおとなしめの彼も適度に私の話についてきてくれていました。

私は王貞治さんの大ファンであり、迫力あるピッチングをする郭源治投手やオリエンタル・エクスプレスと言われたクールな郭泰源投手の存在感に憧れたこともあり台湾の人に親しみを感じていました。

日本生まれ、日本育ちではなかったもののタッ君には生粋の日本人にはないものがあり私は彼に話かけるのが楽しみの一つでもありました。
親分と子分の関係ではありませんが、私は最低限の気遣いは別にして彼に遠慮なく話しかけていました。その中にはかなり失礼なものが含まれていました。

「ねーねー、タッ君日本人になれた?」

私は彼にささやかなエールを送る気持ちで質問していたのですが今思うと失礼極まりないことです。申し訳ない限りです。何しろ小6〜中3までの間にシーズンに一回くらいの頻度でこの質問していましたので。

タッ君が生まれる前にお父さん?おじいさん?が日本で中華料理店を開くために台湾から日本に渡ってきたそうです。そしてタッ君らが生まれたようです。

タッ君は積極的にそれを語るわけではありませんでしたが隠す様子もなく、それがかえって苦労が伝わるものでした。
浅はかな同情をすると「僕は何にも苦労していないよ、お父さんとかは大変だったかもしれないけど」と若干の滑舌の悪さで話すのでした。
そしてそんな彼の話を聞いて一日も早く日本国籍を習得できることを願いました。

そんな話を何となく覚えていますが、台湾から日本に渡ってくることも腕一本で生活がかかる料理人の苦労も十分伝わってきました。タッ君と会話をすることは私が大人になるために大事な時間だったのです。

そんなタッ君と32年ぶりに会ったわけですが全てが変わっていました。
人柄の良さと顔の造りは大きく変わっていませんでしたが32年前のタッ君らしさは一切ありませんでした。目つきの柔らかさも、滑舌のぎこちなさも、会話の流れの途切れも一切ありませんでした。
例えは悪すぎるかもしれませんが朝青龍の目つきを台湾の人に置き換え、滑舌を良くした感じです。
ベラベラ喋るわけではないのですが、場の流れを冷ます間を一切作らず、ちょい悪な言葉の流れをベースに、一方で的を得た社会的話題も随所に使っていました。目つきもそんな話の流れにマッチしていました。
タッ君が子供の頃から無意識のうちに背負ってきたもの、それと正面から向き合い大人として業となったものが伝わってきました。正面から向き合ってきたといえその時その時は一切を意識せずにベストを尽くした結果だと思います。
32年ぶりの彼に昔のタッ君はいませんでした。でも人柄の良さだけは忘れずにたくましい大人になったことだけは確かだと思いました。



私にとってつくばは土浦などと共に大事な場所です。しかしつくばに懸念することも随分あります。
つくばの創成期の象徴的だった場所は随分失われました。確かに時代は変わりますし前に進むためにやむを得ないこともあります。しかし樹木が年輪を重ねるような成長なしに前に進むことは気付かない悲劇につながっていくような気がします。
つくばの隣の土浦に至っては街の中心が壊れてしまいました。実質も本質も滅茶苦茶になってしまいました。

小諸市に新しい市役所と病院が建ちました。身の丈に合わない立派すぎるとの批判も随分出ています。
また中心部にばかり投資しているとの批判も聞かれます。確かにそうかもしれません。
そんなことを考えながら小諸の街を歩くことがありますが私は斬新さも懐かしさも増したように思えます。斬新さと懐かしさを表現するにはベストな規模の建物であり周りの町並みとの適切な距離感が感じられます。土浦市の取り返しのつかない大失敗とは真逆であり、つくば市の憂鬱な流れとも違うものだと感じます。またお隣である新進の佐久市ですが土浦とつくばの歪んだ歴史的関係はなく、小諸の伝統を尊重しながら着実に我が街ならではの新進さを重ねているように思います。
以上はあくまで私が感じたことであり、実際の内訳は違っているかもしれません。



季節は完全に冬へと突入します。
訳あって今年程晩秋の切なさを感じた年はありませんでしたが真冬になってやるべき課題が浮き彫りになり黄昏ている余裕はなさそうです。とりあえず12月にベストを尽くさなければ先はなさそうです。
[ 投稿者:むぐらし at 13:44 | イロハネ記 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2017年11月13日
小諸高校音楽科校内演奏会(29年5回)
随分と寒くなってきました。様々な事柄に追われて冬支度もままならぬまま季節が進んでしまいました。

今年は前半からノルマに追われ、5月後半から秋にかけて指の痛みや甲状腺機能障害となり、己として出来ることと出来ないことの整理に追われ、そして年末ギリギリまで新たなノルマに追われることとなりました。今までにない流れの年となりました。


話をいきなり変えて、本日は茨城県民の日です。
長野県に住んで12年になろうとしていますが茨城県で過ごした29年は私にとって長野県での40年にも50年にも相当する重みがあります。とはいえ茨城県のほんの一部の話であり、つくばや隣接する自治体までの話です。水戸や日立などにもそれなりに親しみを感じますが現在の住まいである小諸に比べて半分の半分程度な思いです。
また別の話になりますが、生まれ故郷である大阪・枚方近辺に対しても愛着が強くなりました。
これは全国高校管弦楽記、大局的な音楽記を意識するようになってから特に強くなったものです。



話をまたいきなり変えまして、前記で記しました第60回弦楽器フェアのミニコンサート話の続きです。

今回演奏してくださったチェリストの辻本玲さんとヴァイオリニストの二村英仁さんですが共にC.サン=サースの曲を弾いてくださいました。各々にチェロ協奏曲Op.33、バイオリンソナタOp.75を弾いてくださいました。実は私、C.サン=サースという作曲家をしりませんでした。機会があればまた、サン=サースの曲を聞いてみたいと思います。


今回辻本さんの音を改めて聞かせて頂きまして、耳にハッキリと聞こえる深みのある音がふんだんに入っているなと思いました。それは力強さからくるものもあると思いますが、力強さと柔らかさのバランスが取れた末から出ている音という感じです。
また、辻本さんのピッチカートは実に柔らかいものでした。弦をはじくとかチェロを鳴らすというより、辻本さんが柔らかく鳴くという感じでした。そして音にもまして弦のはじき方が実に柔らかいのでした。
チェロってこのような音や表現ができることを知り少し驚きました。辻本さんは実力と個性を兼ねた素晴らしいチェリストだと思いました。


ヴァイオリンを演奏してくださいました二村英仁さんはとにかく上手いです。
二村英仁さんは細身でいながら骨格がしっかりしていますが、それでいて身長が高いです。そんな英仁さんですが弓を根元から先までふんだんに使われます。その姿はカッコよく美しいとしか言い様がありません。
音の切れ味抜群、音程は正確、音の強弱が明瞭でいて流れるものであります。

二村英仁さんは最難関コンクールの一つと言われるパカニーニ国際コンクールで複数回の準優勝銀メダルを獲得されています。
これだけ実績のある方は滅多にいないので素晴らしさを表現するまでもありませんが、やはり全てにおいて一流なのが二村英仁さんだと思いました。
ミニコンサートばかりでなくフルコンサートで改めて聞いてみたいです。



辻本玲さん、二村英仁さんの伴奏を務めていただきましたピアニストお二方の簡単なプロフィールを記させていただきます。

下田望さん(チェロの辻本玲さんの伴奏)
広島県呉市生まれ。
東京芸術大学音楽部、同大学音楽部卒業。
第13回教育連盟ピアノオーディション全国大会入賞。入賞者演奏会に出演。等。
ピアノを小嶋素子氏に、室内楽を迫昭嘉氏に師事。
カンマー・ムジーク・アカデミーin呉講師、東京芸術大学音楽部管打楽科非常勤講師。


佐藤彦大[さとうひろお]さん(ヴァイオリンの二村英仁さんの伴奏)
東京音楽大学大学院終了。ベルリン芸術大学、モスクワ音楽院で研鑽を積む。在学中ロームミュージックファンデーション、明治安田クオリティオブライフ文化財団奨学生。
2008年第17回国際音楽祭「ヤング・プラハ」に出演。2009年広上淳一指揮/東京音楽大学シンフォニーオーケストラのヨーロッパ演奏旅行、2012年には小泉和裕指揮/仙台フィルハーモニー管弦楽団の東北ニューイヤーコンサートにソリストとして同行。2014年第18回京都の秋音楽祭のオープニングで広上淳一指揮/京都市交響楽団と共演した。等。

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[ 投稿者:むぐらし at 13:18 | イロハネ記 | コメント(18) | トラックバック(0) ]

2017年11月11日
第60回弦楽器フェア
本日はこのブログと同時に長文のレポートを作成しています。

片やワードでレポートを作成し、片やガラケーでブログを記しています。
忙しいのはいいことであるのかもしれませんが、心を亡くすリスクも考えて忙しくなければならないと思います。デジタルな流れが強いこの時代においてはそう思います。


弦楽器フェアが終わって1週間となりました。記憶が薄くなりかけている中での記述なので見苦しい点があるかもしれませんがお許し下さい。


今回のフェアは三日開催されたわけですが、私が訪れることができたのは中日の4日でした。
特に目的もなく普通の観賞だけであれば1日で十分ですが幾つかのノルマを課していた私としてはかなり慌ただしい1日でした。やはり2日間の余裕が欲しいと思いました。
ノルマも余裕をもって課したつもりでしたがそれでもギリギリで達成できたという状態でしたし。


余裕のなさで特にご迷惑をかけてしまったのが宮地楽器さんです。
まあ、素晴らしい楽器ばかりだったので周りを見失い、楽器の個性に気持ちが入り込んでしまったという感じです。
それと今回の宮地楽器さんの試奏に使わせて頂いた弓がいつもの年より弾きやすく感じました。
「んっ、あれっ、弓がいつもの年より自然に動くぞ?」という感じでした。まあ、お借りした試奏用の弓が今年はたまたま当たりだっただけのことだと思いますが弾きやすかったです。
金銭に余裕ができたならば可能な限り性能の高い弓を入手したいと思っていた私にとっては大変貴重な時間となりました。


宮地楽器さんと対称的だったのが、弦楽器製作者協会会長の園田信博先生のブースでの試奏でした。
今年は園田先生のブースには自前で用意していただいている弓がありませんでした。代わりに幾つかのブースでの共同使用が可能な弓をお借りして試奏させて頂きました。そして一言で言えばいつもの年の弾き心地がありませんでした。
決して悪い弓だとは思いませんでしたが、園田先生が自前でご用意された弓とはやはり何かが違いました。楽器は見た目も、触った感触も、音量や4弦の鳴りのバランスも何時もの年の園田先生の楽器と同じでした。でも弓の弾き心地は明らかに違っていました。
改めて思ったことは、弓の性能について強いこだわりをもっていらっしゃる先生にお世話になりたいと思いました。


園田先生のブースでの試奏は別にして、全体的には総じて何時もの年と同じくらいか、あるいはそれ以上の弾き心地を感じました。
まあ、試奏させて頂いた製作者の方々がかなりの実力者ばかりでしたので当然と言えば当然かもしれません。

最初に岩井孝夫先生のブースで試奏させていただいたのですが、お借りした弓は笹野光昭先生の作品でした。いきなりワルツスケルツォを弾かせていただきましたが筋肉や神経がカチカチとは思えない弾き心地でした。やはり強力なコンビの大先生方だと思いました。

次いで弾かせて頂いたのは河村盛介さんの楽器でしたがハイレベルかつ安定感抜群の楽器だなと思いました。いつも思うことです。
将来の弦楽器製作者協会において重要な立ち位置に就かれるのは間違いないと思いました。


高橋尚哉さんはがっちりとした大柄な方ですが、人間性は実に自然で低姿勢です。そして親しみやすさも十分です。高橋さんと会話をしていると日頃の嫌なことを忘れることが出来ます。素晴らしい方です。
若手でいらっしゃいますが素晴らしいバイオリンを製作されています。そして毎年実力に上積みが感じられます。来年のバイオリンも楽しみです。


庄司昌仁さんの楽器もいつものことながら力強く安定した発音が感じられます。まだ、50歳になられていない中堅でいらっしゃいますが、将来の日本弦楽器製作者協会会長の最有力候補の方だと思います。製作されたバイオリンの実力が物語っていると思います。素晴らしい楽器だと思います。

関西弦楽器製作者協会の馬戸健一会長にはバイオリンの試奏だけでなく、今私がブログで話を進めている高校管弦楽記・音楽記でもお世話になっています。今後もお仕事に支障がでない程度にお世話になりたいと思っています。会長のバイオリンの弾き心地はいつも通り素晴らしく、加えて今年は更に弾きやすさを感じました。


今年初めて試奏させて頂いたのが三苫由起子さんのバイオリンです。ご本人様に許可をとっていませんが込み入った話をさせていただきたく思います。
昨年の12月にブログにも登場してもらった三苫という同級生がおります。
毎年弦楽器フェアで三苫由起子さんの楽器や名前を見ながら同級生の三苫のことを思い出していました。
「ヤツは今頃どうしているのだろうか?」
まあ、他人である三苫由起子さんにヤツのことを聞いてもしょうがないと思い、時間の都合もあり素通りしていました。しかし実は親戚だったのです。昨年三苫が忘年会に来てくれて31年ぶりに会って知りました。ヤツは素晴らしい人間でした。そして31年ぶりに会ったヤツも昔と変わらぬ素晴らしき人物でした。
中学校時代ろくに喋ったこともありませんでしたが、私はヤツを強く妬み、それ以上に尊敬していました。ヤツは生徒会長以上にリーダーシップを発揮していました。中学校時代三年間強い存在感があり、学年一とも言えたかもしれません。
そんなヤツと違い由起子さんは静かで存在感が柔らかな方でした。そんな由起子さんのバイオリンを初めて試奏させて頂いたのですがヤツと同じ何かが感じられました。
一言では言えませんが、芯が強く、かつ柔らかく、そして4弦満遍なく響くという感じです。


今回試奏させていただきたいと思った製作者の方の楽器ですが、実は唯一触れることすら出来なかったバイオリンがあります。桐生で工房を構えられている伊藤丈晃さんです。
私は弦楽器製作者の方々の多くと一度は込み入った会話が成立したことがありますが二度成立したことがあるのは天野年員さんと伊藤丈晃さんだけでした。
勿論二言、三言の会話は当たり前のようにしますが込み入った会話は天野年員さんと伊藤丈晃さんだけでした。
今回天野さんと会話をさせていただきましたが込み入ったところまではいきませんでした。そんな中で伊藤さんと三度目の込み入った会話が成立しました。これは伊藤さんが昨年のフェアでの私との会話を覚えていてくださったことにあります。
物凄くありがたく思いましたし感激しました。
私がこの歳になって、バイオリン演奏技術精進のうえで、伊藤さんのような方にお世話になりたいと思いました。
今回、伊藤さんと会話をさせて頂いてまだ上手くなるチャンスがあると思いました。

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[ 投稿者:むぐらし at 11:11 | イロハネ記 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2017年11月04日
弦楽器フェア、独り言あれこれ
只今、東京科学技術館で開催されている、第60回弦楽器フェアの会場を出て帰路につきます。

只今、東京メトロ東西線・竹橋で西船橋行きに乗りました。
隣の大手町で降りて、丸の内線に乗り新宿に向かいます。




甲状腺機能障害治療中であり、朝5時起きであり、体力的に少しつらいので本日は独り言でブログを進めさせていただきます。


帰り間際で、最後に日本弦楽器製作者協会会長の園田信博先生のブースで試奏させていただいたのですが、先生が出版された本が販売されていました。
他の来客の方が張り紙を見て購入しようとしていたのを見て知りました。迷わず購入しました。久々に壮快な買い物をした気分です。2017年7月7日発売の園田会長の出版物を今日という日に購入できるとは、壮快の一言です。
欲しいと思っていた本ですし、実質的な充足感と共にタイミングまでゲットした思いから壮快な気分です。
その少し前にバイオリニスト二村英仁さんのミニコンサートを聞いたのですが、その際「かー13」の席に座ったのですが、途中から隣の隣にもき先生が席に着かれました。
私は緊張しました。7、8割はもき先生を尊敬する気持ち、残りはもき先生と同じように修業されたS先生にお世話になることを決めたからです。
今でも私はもき先生とS先生は双璧の実力者であると思っていますが、お二方共に選ぶことは不可能だからです。ただ、事情からS先生の一番弟子の方には先んじてお世話になるつもりです。まあ、独り言で説明できるものではありません。
今日は指の痛みと共に馬力が出ない日でしたが、それが思わぬことにつながりました。
今日は痛めている指の痛みがいつもより軽く、その上でどうせ上手く弾けないだろうという諦めの気持ちが思わぬ快調さを発生させました。そして、その快調さで宮地楽器さんにご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません。内訳は独り言ですので申し上げませんが。しかし、私はいつも宮地楽器さんにご迷惑をかけてしまうので…

製作者の天野さんと、伊藤さんと込み入った話をしたいと思っていましたが、間が悪く天野さんとは不完全な会話になってしまいました。
でも、天野さんにはアポイントメントのきっかけを取ることができました。その触媒となったのは「マホガニーを吸収しすぎて巨大化して固まってしまったミジンコ」です。見た目がそうなだけで決してミジンコではありませんが…
結果論ですが天野さんに貰っていただくことが決まりホッとしています。そして嬉しいです。
2007年に木曽福島でゲットした、この「マホガニーを吸収しすぎて巨大化して固まってしまったミジンコ(仮称)」のまともな貰い手がなければ処分する予定だったからです。誠実なな貰い手の方がなければ処分するつもりでした。結果論ですが、天野さんと話がついてホッとすると共にベストだと思いました。

今日のフェアは初代・関西弦楽器製作者協会会長の岩井先生のバイオリンと笹野先生の弓で最初に試奏させて頂いて、最後は日本弦楽器製作者協会会長の園田先生のバイオリンを試奏させて頂くことをノルマとしていました。これって簡単そうで簡単ではないのです。何故なら他のノルマを真ん中に設定したうえですから。
真ん中のノルマが達成できないか、時間切れで園田会長のバイオリンを試奏させていただくことができないか、の中でしたので。
85点程の遂行感ではありましたが、どちらのノルマも達成できてホッとしています。何故なら今後の私のノルマの達成をうらなう意味からです。
その上で園田会長の出版本を購入できたので、トータルするとノルマ達成と100点の充実な思いです。

それと現・関西弦楽器製作者協会の馬戸健一会長に環境と体調が整えば豊中と高槻をやらせて頂きたいと思いますと言いましたが、淀川を言い忘れました。いちいち記すのもなんですが…
最後は更に独り言らしく…


現在小諸に向かうバスの中です。行きは新幹線でした。こんな記述が今日の限界です。一週間程後に改めてフェアについて記させていただきます。
[ 投稿者:むぐらし at 17:58 | イロハネ記 | コメント(2) | トラックバック(0) ]